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2015年5月19日 (火)

踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々って、結構深い

つくづく思うことだが、僕は人生をやっとやっと生きている。世の中を見渡せば、 余裕綽々で人生をスイスイ泳ぎ回っている人もいれば、僕みたいに、「あの人もやっとやっと生きているんだな」と感じる人もいる。

人生をやっとやっと生きている人の特徴は、仕事ぶりを見るまでもなく、出社した瞬間にわかる。朝起きて窮屈な背広を着て、 ネクタイを結び、満員電車に揺られ出勤してくる。それだけでかなりライフを消耗しているのである。とても社内の人に「おはよう」と明るい笑顔を振りまく余裕などない。だから出社した瞬間に「やっとやっと組」か「スイスイ組」か、わかるのである。

僕のような「やっとやっと組」には、定時になると家に帰りたくなるし、アフターファイブでなんとかライフを回復させるべく、さまざまな息抜きが必要になってくる。趣味に没頭するなり、飲み屋に行くなり、ネットサーフィンするなりの息抜きだ。

ところで話は変わるが、「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という言葉があるが、これはなかなか深い言葉だ。 「踊る阿呆に見る阿呆」、ここはさして深くない。次の「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」、ここが実に深い。特に、「人生やっとやっと組」の人たちは実に肝に銘じてほしいところである。

人生とは苦しいところである。そんな苦しいところに、望むと望まざるとに関わらず、放り出されているわけだが、そこで己がどのような振る舞いをするか。この「同じ阿呆なら踊らにゃ損々」という言葉を知っているか否かによって、左右されるといっても過言ではない。

「阿呆」というのは、こんな苦しい人生に投げ出されてしまったすべての人々のことである。「踊る」というのは、精いっぱい楽しむということである。「見る」とは、一歩引いて傍観しているということである。だけど、楽しみの渦のど真ん中にいようが、一歩引いて澄ましていようが、人生に投げ出されてしまった人には違いない。せっかくなら澄ましているより、楽しんでいようよ、と捉えると、立派な人生訓になる。

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コメント

偶然、今、同じフレーズを思い出して、妙に納得した所です。

なんとなく調べたところで、
少しタメになる文章に当たることができて良かったです。

ふと気になって調べたらトップにあったのがこれでした。いい文章ですね。思わず自分を振り返ってしまいました。

同じことを思ったらここに行き着いた

なんとなく同じようなこと考えて調べてみたら同じような事考えてる人がいて笑った。

 初めまして。コメント失礼いたします。
「踊る阿呆に見る阿呆」で検索したら、ヒットしたので拝見しました。
たまに、頭に浮かぶこの言葉に「やっとやっと組」の私も背中を押されてきました。
 筆者の方の考えていることに、身に染みるほど共感します。良い記事をありがとうございました。

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私も「やっとやっと組」です。

しかし私にはこの言葉は、社会が個人に対して「お前も踊れ!」と強要しているような言葉に思えてなりません。
見るだけの人が存在することを許さない、今の狭量な社会を表しているようで暗澹となるフレーズです。

↑踊れと命令してるよりかは踊った方が楽になると提案しているだけだと思うよ~
踊らずに見るだけでしか生きられない苦悩を描いた物語なんていっぱいあるし、踊れないことが芸術を生み出すこともあると思います
それはエネルギー効率的に損かもしれないけど、人の心を動かすからね

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